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水辺のそばで、生き方を選び続ける —— 野中豪さん

北海道・奥道北、中川町。人口約1,200人のこの町を流れる天塩川は、道北を代表する大河のひとつだ。四季によって水量や表情を大きく変えるこの川をフィールドとして活動しているフライフィッシングガイドがいる、野中豪さんだ。

人生の選択において、常に「水辺との距離」を基準にしてきたという豪さん。どのような経緯でフライフィッシングと出会い、なぜ中川町に拠点を構えることになったのか。その歩みをたどる。

父の横顔と、水の記憶

野中さんがフライフィッシングを始めたのは9歳のとき。福岡県に生まれ、父親の仕事の都合で神奈川県へ移り住んだ後、家族で訪れたキャンプ場でフライフィッシングを目にしたことがきっかけだった。

毛鉤を投げる独特のキャスティング、空中に弧を描くフライのライン、静かに水面へ落ちる瞬間。その一連の動きが強く印象に残ったという。

両親は釣りをしない家庭だったため、近所の大人に教わりながら技術を身につけていった。遠方の川へ行きたいときは父親に頼み、父は川辺で読書をし、豪さんは1日中水に向き合っていた。そうした時間が自然と積み重なり、「水辺にいること」そのものが彼の一部になっていった。

初めての“手応え”が、旅の始まりに

小学生の頃、山梨県・忍野の川での出来事が、彼の釣りに対する姿勢を大きく変えた。

夕暮れの川で、水面にヤマメが姿を見せた。その瞬間のことを、野中さんは「雷に打たれたような衝撃だった」と振り返る。

それは、魚を釣り上げたという体験ではなかった。むしろ、水の流れの中に魚がいて、フライフィッシングという方法でその魚と関わることができるという世界を、初めて実感した出来事だったという。まだ魚の顔を見るところまでは遠く、試行錯誤の連続だったが、この体験をきっかけにフライフィッシングに強く惹きつけられていった。

なぜその場所に魚がいるのか。なぜその流れで魚は餌を待っているのか。水温や光量、流速といった条件を意識しながら自然を見るようになり、釣りへの探求は次第に深まっていった。

ニュージーランドでの経験

大学時代はアウトドアブランド「パタゴニア」で働きながら、日本各地の川を巡った。その中で、より本格的にフライフィッシングに向き合いたいと考え、大学を休学。21歳でニュージーランドへと渡った。

現地では語学学校に通いながら、知人の紹介で見つけた採石場で働き、資金を貯めて中古のバンを購入。車中泊をしながら国内各地の川を巡り、何度も何度もキャスティングをした。

朝から日没までキャストを繰り返す生活を送る中で、「釣りが特別なものではなく、日常により近いものである、延長線上にあるもの」として変わっていった。

水位がわずかに変わるだけで魚の居場所は変わる。前日反応が良かった流れが、翌日は沈黙することもある。自然は一定ではなく、常に移ろっている。その微細な変化を感じ取る感覚を、毎日川に立つことで身につけていった。

同時に、釣りをする時間や場所、毎日の寝る場所など生活環境を自ら設計・選択する経験は、「環境は選択できる」という実感と自身にも繋がったという。

一度、社会の中へ。大きくなるフライフィッシングへの想い

「一生分くらいの釣りをしてきた」という気持ちを抱え、ニュージーランドからの帰国した野中さん。「新卒でしか経験できないことがある」と考え、大学卒業後は一般企業へ就職する。営業職として働きながら週末は川へ通う生活が続いた。

ただ、会社員である以上、仕事と現場対応が最優先になる。週末であっても、仕事の急な連絡やトラブルに備え、動ける状態を保たなければならなかった。川の状況が良くても、その日に行けるとは限らない。仕事の予定が入ればそちらを優先するしかない。

仕事によって、釣りとの時間が削られていくようになると次第に

「釣りに行くために働く」のではなく、「働くことで釣りが遠ざかっていく」感覚が強くなっていった。

平日の大半を仕事に費やし、わずかな隙間時間に海へ向かう生活に、どこか噛み合わなさを感じるようになった。そして、自分の時間の使い方そのものを見直す必要があるのではないかと考えるようになったという。

ただ、悩む中でも釣りをやめる選択肢はなかった。むしろ、どうすれば釣りを中心に据えた生活を実現できるかを考えるようになっていったという。

そして25歳のとき、「30歳までにフライフィッシングガイドとして一定の立ち位置を築く」と決断する。

天塩川のほとりへ 、北へ向かった決断
学生時代に訪れたことがあった北海道。その中でも天塩川の存在は強く、広大な流れの中で、いつかイトウを釣りたいという思いがあった。

ちょうどその頃、中川町でアウトドアガイドに関する地域おこし協力隊の募集が出ていた。見つけたときには締め切られていたが、どうしても挑戦したいと役場に直接問い合わせをし、履歴書を送りつけた。その熱意の介もあり、見事選ばれ、採用に至った。

環境の利便性・効率性よりも、水辺との距離を優先する。その判断こそが、現在の野中氏の拠点につながっている。

自然を相手にするプロフェッショナル

「どうすれば一番釣りに関われるか」。その問いに対しての彼の答えがガイドという仕事だった。

ガイドは魚を保証する仕事ではない。自然は常に変化し、結果を確約することはできない。だからこそ、事前の準備と判断力が重要になる。

前日の雨量や水位を確認し、複数のポイントを想定する。ゲストの経験や体力を踏まえてプランを組み立てる。その上で、現場の状況に応じて判断を重ねていく。

野中さん自身が重視するのは「納得感」だという。なぜその場所なのか、なぜその毛鉤なのかを説明できること。経験則に頼るだけでなく、研究と検証と積み重ねを経た判断を言語化し伝えることを大事にしている。

「自分が納得できないと、ゲストにも自信をもって勧められない」と話す。

そんな彼がガイドをしていてやりがいを感じる瞬間は、シンプルにゲストが魚を釣りあげた瞬間だという。自分の説明や提案をもとに、ゲストが状況を理解し、自ら判断して竿を振り、その結果として魚を掛けたときは素直に嬉しい。

ただ偶然釣れるのではない。なぜそこに立ち、なぜその毛鉤を選び、なぜその流し方をしたのか。そのプロセスを共有したうえで出た一本だからこそ、意味があるという。

隣に立ちながら、流れの読み方や間の取り方を伝える。言葉だけでなく、呼吸や緊張感のようなものまで共有する感覚があるという。自分の中にあるエネルギーが、ゲストの竿を通して川に向かっていくような感覚。

ラインが走り、竿がしなった瞬間、豪さんはゲストと同じように胸が高鳴る。自分が釣っているわけではない。それでも、自分が積み重ねてきた判断や説明が人に伝わり、かたちになり、喜びんでもらえる姿は何より嬉しい。

うまくいかない時間も含めて伴走し、理解を重ねた先に一本が出る。その瞬間に立ち会えることが、この仕事の醍醐味だと話す。

釣果だけではなく、時間そのものを価値ある体験にすること。それがガイドとしての役割だと考えているという。

水辺に立ち続けていくために

将来について尋ねると、野中さんは「釣りで食べていくことを続けたい」と答える。

華やかな実績や知名度よりも大切にしているのは、水辺に根ざし、釣りを続けられる状態をつくることだという。それが、自身にとってのひとつの成功のかたちだという。

これまでは、とにかく川に立つこと・技術を磨くことに力を注いできた。25歳のときに思い描いた「30歳までにフライフィッシングガイドとして一定の立ち位置を築く」という目標は、おおよそ実現できたと感じているという。

フライフィッシングガイドという仕事は、自然条件に大きく左右される。水量や水温、天候の変化によって魚の動きは変わり、同じポイントでも状況は日々異なる。その変化を読み解く力を磨き続けることが、重要だ。

だからこそ、フィールドに立つ時間を何よりも優先してきた。経験を積み重ね、精度を高めていくこと。その積み重ねが信頼につながり、ガイドとしての立場も確立されていった。既に彼を求め、道内外から毎年多くの釣り人が中川町を訪れている。

一方で、30歳という節目を迎え、少し視野が広がり始めている。

これまでは「明日の釣り」のことを考えていればよかった。今日の水量、今日の風、今日の魚の動き。その日、その瞬間にどう応えるかがすべてだった。

けれど最近は、「60歳になっても、釣りを続けられる状況」について考えるようになったという。

そう思えたとき、目の前の一日だけでなく、その先の時間も意識するようになった。
いま積み重ねている経験が、未来の自分の釣りにつながっているかどうか。
この場所で釣りを続けていくために、いま何をしておくべきか。

目の前の一匹を追いながらも、少しだけ遠くを見る。 川の流れを読むのと同じように、時間の流れにも目を向けるようになった。

だからこそ、これまで断り続けてきた仕事にも、少しずつ向き合い始めている。メーカーとの協業、原稿の執筆、イベントへの参加。かつては「水辺から遠ざかるならNO」と即答していた依頼にも、「それが長く釣りを続けるための選択肢になるのであればYESもある」と考えられるようになった。

また、業界全体の動きも意識するようになったという豪さん。若手が少ないフライフィッシング業界において、次の世代の“顔”が必要だという声も大きくなりつつある今これまで目立つことを避けてきたが、今後のフライフィッシング業界を牽引する1一人として「腹を決める時期かもしれない」と考えている。

有名になりたいわけではない。ただ、メディアに出ることが釣りの可能性を広げるための手段になると、発信や露出を前向きに捉え始めている。

「水辺にいるのが、自分に合っているだけなんです。」と語る彼。
進学や就職、そして移住といった人生の節目でも、彼は常に川に近い環境を選んできた。その延長線上に、いまの中川町での暮らしがある。

川の変化を読み、魚の動きを追い、その年その年のフィールドと向き合う。その営みはこれからも変わらない。
その軸を持ち、中川というフィールドからフライフィッシングの魅力を発信していこうとしている。

自分が磨いてきた技術や感覚を、次の世代や、まだこの世界を知らない人たちへとつないでいく。
そして、釣りをさらに深めるために、自らの領域も少しずつ広げていく。

30歳になったいま、彼はフライフィッシングそのものに、これまで以上に多様な視点で向き合おうとしている。

野中さんのフライフィッシング人生は、次の章へと歩み始めている。

取材・編集:smiles

写真提供:野中豪

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